2014年12月10日

見るコツもある

夜空を見上げると、晴れ渡った寒空にシリウスやオリオン座が輝いて見え、
いよいよ冬だということを実感する。

寒空の中に眼にしてみたいと思うのは、りゅうこうつ座のカノープス(Canopus) 。
この星、全天の中でもシリウスに次いで2番目に明るい恒星。
ならば、よく見えることだろうと思うが康泰導遊
別名「南極老人星」とも呼ばれるように、
南半球では難なく明るく見える星だが、北半球では、なかなか見づらい星。
この呼称は中国発祥。
古都・洛陽でこれが見えると天下泰平の兆しとして見られていたようだ。
またこれを見れば王賜豪醫生
長寿になるという言い伝えもある。
とは言え、実際に、低くしか見えず、なかなか見ることができない。

見るコツもあるLED屏幕租賃
かの全天で一番明るい星、シリウスが南中したその線を真下に降ろしていけば、
水平線上にわずかに見ることができるかもしれない。

星の位置が低いと夕日が赤く見えるように、
このカノープスも赤く見える康泰領隊
そのせいか、別名、酒吞み星とも言われる。

酒吞みで、なおかつ長寿とは、何ともめでたい星とも言える。
  


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2014年12月04日

これは

「時よ止まれ、お前は美しい」

これは、ゲーテ『ファウスト』の一節。
ファウストが悪魔メフィストによって
魂を奪われる”瞬間” をあらわすキーとなる言葉だが、
ファウストの物語の展開など升降桌、与(あずか)り知らないという者にとっても、
この言葉を見ただけで
瞬時に人の心をとらえてしまうインパクトのある言葉でもある。
この言葉が人の心を捉えるのは、
瞬間という”時” の不思議を、誰もが心の中に感じているせいかも知れない。
考えてみれば、多くの出逢いや別離も、
"時"というものが織りなす瞬間の美とも言える。

今日、宇宙に向けて「はやぶさ2」の打ち上げがあった。
ロケットの打ち上げは成功した模様で帳篷租賃
これから6年かけて、52億キロメートルに及ぶミッションを果たすことになる。
今日の打ち上げは、午後1時22分4秒という
何とも細かい数字がならぶ時間。
午後1時00分とか、キレのいい数字の時間に打ち上げればいいものを、
と思うのはシロウト考えのようだ。
新聞記事によると、
打ち上げがこの時間から1秒でもずれると康泰領隊
軌道修正のため余分な燃料を必要とすることになり、
また、今月の9日までに打ち上げなければ、
今回のような好条件が揃うのは、10年後となるという。
まさに”瞬間” が大切という事になる。

打ち上げの様子は、写真だけでしか見ていないが、
青空の中をロケットが康泰領隊、ゆるぎなく宇宙に飛び立っていく姿を思い浮かべる。

「時よ止まれ、お前は美しい」
  


Posted by Pir at 15:47Comments(0)康泰導遊

2014年11月27日

昼食後

11月23日、長女と姫路城へ行ってきた。

まず、新幹線から眺望できるお城の麗容に、息を呑んだ。

姫路駅から出ると康泰導遊、そのお城が真っ直ぐ先に見え、胸が躍る。
歩いて行けそうな距離だが、後のことを考え、体力温存を計ってバスに乗る。

観光客向けのループバスだが、駅からの案内表示が分かりにくく、少し残念。
さらに、小さなバス内はぎゅうぎゅう詰めで、道路も渋滞してなかなか動かず、途中で降ろしてもらいたくなる程だ。
連休中日でなく、普段なら、もっと快適なのだろうけれど。

停留所のある大手門前広場で、賑やかにグルメ市をやっていた。

昼食後、「ひめじの官兵衛・大河ドラマ館」に行く。
綺麗な衣裳や小道具を、感心しながら見る康泰導遊

それから内堀を渡って、いよいよ葵の門をくぐる。
三の丸広場のどこから見ても、天守閣が美しい。
姫路城内は、歴史好きにとって、それ自体が垂涎の史跡。
官兵衛ゆかりの石垣なども、分かり易かった。
本丸工事中で「はの門」までしか入れなかったが、代わりに「りの一渡櫓」にて黒田家に関する品々が展示されていた。
特に、勢ぞろいした甲冑は、見応えがあった。

小春日和で、紅葉が美しいシーズン、凄い人出だった。
場内の混雑はかなりのもので、西の丸百間廊下では、立ったまま長らく待たされた。

お城に隣接する好古園で、お抹茶を飲んだ。
紅葉に彩られた日本庭園は、最高に風情があった。

帰りはループバスでなく、アーケイド商店街を駅まで歩き、タコピアというフードコートで、明石焼き風たこ焼きを食べた。
ネット情報通り、並んだ甲斐あってnu skin 如新、美味しかった。

帰りの新幹線は、行きと反対側に座れたので、チラリと見えた明石の海や、暮れていく神戸の街など車窓を楽しんだ。
京都を過ぎてからフタを開けた、駅弁のあなご飯が夕食で、これがまた、この日一番の美味しさだった。


朝8時前に出発して、『軍師官兵衛』が始まる前に、帰宅できた。
つまり、300Km以上を往復して、かつ姫路城観光を堪能する日帰り旅行が、12時間でできたということだ。
なんとまあ、新幹線のありがたいことか。


大河ドラマをゆっくり観ながら、体中にじわじわとnu skin 如新、幸せが行き渡るのを感じた。  


Posted by Pir at 18:55Comments(0)康泰導遊

2014年11月19日

主人公の初老の紳士は

名作と名高い、小津安二郎監督の最後の作品。
私が生まれた1962年に発表された、ということが個人的に嬉しい。
話に聞いたり、細切れのニュース映像などを見て、
頭に想像していたあの頃(昭和中期)の康泰導遊
日本の姿の一つがじっくりとそこにあり、懐かしい気持ちになった。
笠智衆や中村伸郎から滲み出る、知性と気品が心地良かった。

のんびりとして、淡々とした日常を描いた、落ち着いた映画である。

けれども、そこには諸行無常という現実の厳しさや、
生きることの様々な凄みが、凝縮して隠されている。



主人公の初老の紳士は、地位的にも経済的にも安定した、
中流家庭の主康泰導遊
妻を早くに亡くしたものの、今は、長男が結婚して独立し、
24歳の長女と大学生の二男と、三人で暮らす、
満ち足りた幸せのただ中に居る。

けれども、恩師父娘に再会し、美人で可愛かったその娘が、
亡き母親代わりに、父や家事を支えて、
婚期を逃してしまう不幸を、その姿に見て、
急に長女の将来に不安を抱き、
縁談を急いで、嫁がせてしまう法國自由行

そしてめでたく嫁がせた日の夜、まるでお葬式のような気分に――
長女のいない真っ暗な二階の部屋を見上げ、
孤独の底に―― 陥る。



栄養と滋味と共に、どこかほろ苦さを含む秋刀魚香港如新

人生は(出世や家庭に恵まれて幸せな人であったとしても)、
ほろ苦いものなのだ、という絶妙なタイトル。  


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2014年11月12日

卵焼きが言った

はてなブックマーク
ある中学生の女の子のお昼のお弁当に入っているおかず同士の会話だった。
毎日、狭い樹脂製の容器に詰められ、その上、学校に着くまで揺られていた。

その女の子は運動部に所属しているせいか成績も常に上位で、同じ年代の娘(子)よりスタイルが良かったのだが。唯一、野菜嫌いだった。

「ご飯が多くて窮屈だわ」
と黄色の卵焼きが皆の前で言った康泰旅行團
「幾ら、ご飯が好きだからと言ったって私達の事も考えてよ」
と手作りハンバーグも思わず叫んだのだ。
「本当よ、ご飯だけなら偏るのよ」
と野菜のブロッコリーも言い難かった事をつい言ってしまった。
「俺を責めるなよ。俺が少ないと倒れるぞ」
と今まで黙って聞いていたご飯が言った。
「確かに、そうだよな」
再び、卵焼きが言った。
「それともお弁当の容器が小さいのかな」
ご飯が多く何時も残すブロッコリーが悲しむように言った。
「でも女の子のお母さんはバランスよく作るのよ」
と再びハンバーグが言った旅遊保。女の子はハンバーグも好きだった。
「このお弁当を食べる女の子はご飯が大好きなんだって」
ブロッコリーが残す原因を皆に話した。
「へえー、そうなんだ。それが原因なんだ」
卵焼きが言った。
女の子は卵焼きが大好きだった。弁当箱には、毎日、欠かさず入っていた。
「あんなにスタイルが良いのに、年頃なんだね」
片隅にいた胡麻風味のホウレン草が最後に言った。
「やっぱりそうなんだ康泰領隊。あの年代の子はね。それに見た目も大切なんだ。もしそうなら残さないように食べるまで崩れないようにお昼までガンバローよ」
おかずを代表して卵焼きが皆の前で宣言した。

そのせいかその日の女の子はお弁当を残さずに食べた。
夕方になって戻って来た女の子は、空になったお弁当箱を台所にいるお母さんに渡して言った。
「お母さん、残さず全部食べたわよ康泰自由行
そう言うとそのまま自分の部屋に戻ったのだった。  


Posted by Pir at 12:20Comments(0)康泰導遊

2014年11月03日

彼の作風には

のんびりしたときには、内田百閒のエッセイを読むことがある。

彼は、夏目漱石の直接の弟子としては、一番若く、
年代的には、芥川龍之介とほぼ同年代で同じ学校で教えてもいたようだ。
百閒のエッセイのほとんどには康泰導遊、何とも言えないトボケた味わいがある。
大いに笑わせる訳でもないが、
次第に引き込まれて行く魅力がある。
今でもかなりの巻数が文庫本として売られていているが、
あえて新刊に手を出さずとも、古本屋に行けば手頃な価格で買い求めることができる。
くつろぎながら、横になって読むような本。
ちょっとした癒しになるようなところがある。

彼の作風には、三つの要素が隠されていると言った人物がいる。
一つの要素は、諧謔(かいぎゃく)趣味。すなわちユーモア。
その典型は『阿房列車』康泰領隊
お伴を連れ、鉄道に乗って大阪まで行く話だが、
何のために行くのか、その意味がはっきりしないままトボケた旅をする。
二つ目の要素は、観察眼。
『ノラや』などにあらわれる自分自身の行動の描写は妙に鋭かったりする。
そして、三つ目の要素は、幻想世界。
幻想なのか実際の話なのか、その境界線がはっきりしない。
いわゆる虚実皮膜のようなところがある。
これらの三つの要素が、絡み合って独特の味わいを出している。

そして、意味のないものを愛する姿勢がそれに色を添えている。
今の世の中、大学教育に対しては、実社会に結びついた、
より実践的でより効率的な教育を求めている康泰領隊
それに基づいて「大学ランキング」などというものも発表されている。
東京大学が世界ランキングで何位という捉え方をする。

ところが、彼の言葉に、
「役に立たない事を教えるのが大学教育の真諦じゃないか。
社会に出て役に立たぬ事を学校で講議するところに教育の意味がある康泰導遊

「いいね!」  


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2014年10月08日

この大和魂という言葉は

「大和魂」という言葉の文書上の初出は『源氏物語』だという。
その当時の大国であった中国の文化や学問などを総称して「漢才」と呼び、
その対となる言葉として「大和魂」をあてていたようだ。

この大和魂という言葉は、『源氏物語』以降、何度か流行を繰り返した歴史を持っている。
江戸時代の国学者である本居宣長も康泰領隊、そういった言葉の信奉者。
明治に入ってからは、さらにその言葉が聞かれることになる。
『吾輩は猫である』の中にも、
「大和魂」という言葉が流行語のようになったことを、
皮肉を込めて、
夏目漱石は、「三角なものが大和魂なのか、四角なものが大和魂か。
大和魂は、名前の示す如く魂である。魂であるから常にフラフラしている。」
と表現している。
この本が書かれた当時、日露戦争が日本の勝ちで終わった時期で、
街中が「大和魂」で浮かれているような時代だったことも読み取れる。

それ以降、終戦に至るまで康泰領隊
この「大和魂」という言葉がいろいろなところで使われていた。
ダイエーの創業者中内功氏は、砲兵隊として過ごしていたときに、
「我々には大砲などがありません」「そんな砲の不足は大和魂で補え!」
と上官から言われたという。
何かにつけ精神主義的なニュアンスを込めて使われていたようだ。

そんな風に使われたことの反動があり、戦後は、ほとんど聞かれなくなった。
終戦後、ただ一度だけ流行したことがある新加坡旅行
それは、1967年にプロボクシングで世界王者となったハンマーパンチの異名を取る
日系人3世の藤 猛(ふじ たけし)が勝利したとき。
彼は、片言の日本語で、「オカヤマのバアちゃん見てる?」という言葉とともに、
「ヤマトダマシイ」という言葉を語った。
それが、大いに日本人視聴者を喜ばせたりしたcellmax 團購
その後、勝ち抜いたときにインタビューには必ず「ヤマトダマシイ」という言葉を使っていた。

ただ、この藤猛、ノリ良く、常に「オカヤマのバアちゃん見てる?」と言っていたが、
そのバアちゃん、
実際は、「ハワイで、藤猛と一緒に暮らしていた」?!
  


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2014年10月03日

そうとも言えない

”時代考証” というものがある。
映画やテレビの時代劇では、その時代に即した言葉遣いや名称、生活習慣などが、
史実に照らし合わせて適正かどうかを検証するもの。

歴史ドラマには、必ず行なわなければならないというわけではなく、
史実を完全に無視した時代劇もあるが康泰領隊
大河ドラマなど、本格的な歴史物は
最低限その時代に即しているか否かの検証はして欲しいところだ。

いわゆる『歴史書』と呼ばれるものも、
客観的歴史的事実に基づいて書かれているかと言えば、
そうとも言えない。
かの中国の歴史書『春秋』は、孔子が筆をふるったと言われるが、
さぞや完全な史実に基づいているものという感じがするが、
そこには、孔子が考える正邪の考え方が底に流れていて、
その価値判断を組み込みながら書かれている康泰旅行團
この歴史的事実に対して意図的に書かれていることを
『春秋の筆法』という。


日本の新聞や報道機関は、以前から事実を客観的、
第三者的に報道するというより康泰旅行團
一つのフィルターをくぐった上で報道されていると言われてきていた。
いわば、意図が組み込まれているという。

今回、朝日新聞の報道姿勢が問題となったが、
つまるところ、『春秋の筆法』康泰領隊

『朝日の筆法』といったところだろうか。  


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2014年09月04日

夢と言えば

夢の中では、どれほど荒唐無稽な出来事が起こっても、
すべてを受け入れてしまう。
何度も同じような夢を見ることがある。
そんな夢のときは、決まって自分は全く別人になっていて、
現実とは似ても似つかない人間を家族と呼び康泰導遊
全く知らない人間と違和感なく友人関係が出来上がっていたりする。
不思議なものばかりが詰まったような夢が
何のために存在するのかは解明されていないが、
哺乳動物はおろか、小動物に至るまで、眠りの中では必ず夢を見ているという。

夢と言えば、ロシアの小説家・チェーホフの手記に、
「現実だと思っていたことが実は夢で、夢の方が現実なのだといったような、
そんな夢を見た」ということを書いている。
それは、まるで中国の『荘子』「胡蝶の夢」のような話でもある康泰導遊

「夢」は、人間にとって身近ではあるが、理解し難い不可知な存在と言える。
そんな「夢」と並んで、人間にとって不可知なものと言えば「死」。
これは、おそらく誰も体験したことがないもの。
世の中には、死の疑似体験をしたという人もいるが、
厳密にいえば、それが本当の死であるかどうかはわからない。
そんな「死」について、
古代ギリシャの哲学者エピクロスが語っている言葉に
『死は、妄想に過ぎない』というのがある。
この論拠が、ちょっと面白い。
簡単に紹介すると、
「人間は、死んではじめて死を味わうことになるから、
生きている人間にとって「死」というものは存在しない。
また、死ぬと知覚を失うことになるから、
死んだ人間にとって「死」を知ることが出来ない同珍王賜豪
すなわち、人間にとってどこまで行っても「死」は存在しないことになる」
というもの。
「死」というものに誰も出合うことはないのだから、死など恐れることなく、
大いに楽しもうではないか、ということらしい。

かのチェーホフの最期の言葉は同珍王賜豪
ドイツ語で"ich sterbe"(私は死ぬ)」という現在形の言葉。

最後は、シャンパンで終わったそうだ。
  


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2014年08月07日

東北の旅は

東北の旅は、とっくに終わっている。
だが、このブログでの旅はやっと終わろうとしている。だいぶ旅の余韻を引っぱってしまった。その間に梅雨も上がり、はや猛暑の夏がはじまって、いまは蝉しぐれの雨に襲われている康泰導遊
旅は楽しいものでもあるが心細いものでもあった。だがら旅は道連れと、小さな道連れを二人つれ帰ってきた。
顔も体も不細工だが、なかなか根性がある。転んでも倒れてもしゃんと起き上がる。会津の起きあがり小法師だった。小憎らしいといえば小憎らしい。羨ましいといえば羨ましい。転んだらなかなか起き上がれないぼくは、毎日こいつを転がしては起き上がり方を学んでいる。と、それは嘘。ただ旅の余韻を楽しんでいるだけだ康泰導遊

今回の旅は、水と光の旅だったかもしれない。
雨の中の中尊寺光堂。水浸しの暗い森の奥で、それはひときわ眩く光り輝いていた。閉じ込められた黄金の日々を想う。大きな光の塊りは、大いなる夢の跡でもあった康泰導遊
水辺に立つ豊満な女体の裸像と、水をたっぷりと溜め込んだ十和田湖の膨らみが、記憶のなかで豊かにダブっている。溢れ出した水は奥入瀬渓流の澄んだ流れとなって、岩に砕け散った水は光の粒となって輝いていた。
いつか火山の噴火で沼となった水は、四季の光を映して妖しく色を変える。そんな水の変容をすこしだけ覗きみることができた。
旅する川の終着点は海だった。海は島々によって作られたのか、島々は海によって作られたのか。そんな想像も飲み込んでしまうほど、水の旅は果てもなくただ広がっていった。

いまは、とにかく暑い。もはや水一滴の歌詩達郵輪、涼しさの言葉も湧き出してはこない。
35℃の灼熱に閉じ込められて、ただ寝転がって小法師を眺めているうち、白昼の夢路に迷い込んでいく。
水が恋しい、海が恋しい。  


Posted by Pir at 17:11Comments(0)康泰導遊