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2014年11月27日

昼食後

11月23日、長女と姫路城へ行ってきた。

まず、新幹線から眺望できるお城の麗容に、息を呑んだ。

姫路駅から出ると康泰導遊、そのお城が真っ直ぐ先に見え、胸が躍る。
歩いて行けそうな距離だが、後のことを考え、体力温存を計ってバスに乗る。

観光客向けのループバスだが、駅からの案内表示が分かりにくく、少し残念。
さらに、小さなバス内はぎゅうぎゅう詰めで、道路も渋滞してなかなか動かず、途中で降ろしてもらいたくなる程だ。
連休中日でなく、普段なら、もっと快適なのだろうけれど。

停留所のある大手門前広場で、賑やかにグルメ市をやっていた。

昼食後、「ひめじの官兵衛・大河ドラマ館」に行く。
綺麗な衣裳や小道具を、感心しながら見る康泰導遊

それから内堀を渡って、いよいよ葵の門をくぐる。
三の丸広場のどこから見ても、天守閣が美しい。
姫路城内は、歴史好きにとって、それ自体が垂涎の史跡。
官兵衛ゆかりの石垣なども、分かり易かった。
本丸工事中で「はの門」までしか入れなかったが、代わりに「りの一渡櫓」にて黒田家に関する品々が展示されていた。
特に、勢ぞろいした甲冑は、見応えがあった。

小春日和で、紅葉が美しいシーズン、凄い人出だった。
場内の混雑はかなりのもので、西の丸百間廊下では、立ったまま長らく待たされた。

お城に隣接する好古園で、お抹茶を飲んだ。
紅葉に彩られた日本庭園は、最高に風情があった。

帰りはループバスでなく、アーケイド商店街を駅まで歩き、タコピアというフードコートで、明石焼き風たこ焼きを食べた。
ネット情報通り、並んだ甲斐あってnu skin 如新、美味しかった。

帰りの新幹線は、行きと反対側に座れたので、チラリと見えた明石の海や、暮れていく神戸の街など車窓を楽しんだ。
京都を過ぎてからフタを開けた、駅弁のあなご飯が夕食で、これがまた、この日一番の美味しさだった。


朝8時前に出発して、『軍師官兵衛』が始まる前に、帰宅できた。
つまり、300Km以上を往復して、かつ姫路城観光を堪能する日帰り旅行が、12時間でできたということだ。
なんとまあ、新幹線のありがたいことか。


大河ドラマをゆっくり観ながら、体中にじわじわとnu skin 如新、幸せが行き渡るのを感じた。  


Posted by Pir at 18:55Comments(0)康泰導遊

2014年11月19日

主人公の初老の紳士は

名作と名高い、小津安二郎監督の最後の作品。
私が生まれた1962年に発表された、ということが個人的に嬉しい。
話に聞いたり、細切れのニュース映像などを見て、
頭に想像していたあの頃(昭和中期)の康泰導遊
日本の姿の一つがじっくりとそこにあり、懐かしい気持ちになった。
笠智衆や中村伸郎から滲み出る、知性と気品が心地良かった。

のんびりとして、淡々とした日常を描いた、落ち着いた映画である。

けれども、そこには諸行無常という現実の厳しさや、
生きることの様々な凄みが、凝縮して隠されている。



主人公の初老の紳士は、地位的にも経済的にも安定した、
中流家庭の主康泰導遊
妻を早くに亡くしたものの、今は、長男が結婚して独立し、
24歳の長女と大学生の二男と、三人で暮らす、
満ち足りた幸せのただ中に居る。

けれども、恩師父娘に再会し、美人で可愛かったその娘が、
亡き母親代わりに、父や家事を支えて、
婚期を逃してしまう不幸を、その姿に見て、
急に長女の将来に不安を抱き、
縁談を急いで、嫁がせてしまう法國自由行

そしてめでたく嫁がせた日の夜、まるでお葬式のような気分に――
長女のいない真っ暗な二階の部屋を見上げ、
孤独の底に―― 陥る。



栄養と滋味と共に、どこかほろ苦さを含む秋刀魚香港如新

人生は(出世や家庭に恵まれて幸せな人であったとしても)、
ほろ苦いものなのだ、という絶妙なタイトル。  


Posted by Pir at 18:48Comments(0)life康泰導遊

2014年11月12日

卵焼きが言った

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ある中学生の女の子のお昼のお弁当に入っているおかず同士の会話だった。
毎日、狭い樹脂製の容器に詰められ、その上、学校に着くまで揺られていた。

その女の子は運動部に所属しているせいか成績も常に上位で、同じ年代の娘(子)よりスタイルが良かったのだが。唯一、野菜嫌いだった。

「ご飯が多くて窮屈だわ」
と黄色の卵焼きが皆の前で言った康泰旅行團
「幾ら、ご飯が好きだからと言ったって私達の事も考えてよ」
と手作りハンバーグも思わず叫んだのだ。
「本当よ、ご飯だけなら偏るのよ」
と野菜のブロッコリーも言い難かった事をつい言ってしまった。
「俺を責めるなよ。俺が少ないと倒れるぞ」
と今まで黙って聞いていたご飯が言った。
「確かに、そうだよな」
再び、卵焼きが言った。
「それともお弁当の容器が小さいのかな」
ご飯が多く何時も残すブロッコリーが悲しむように言った。
「でも女の子のお母さんはバランスよく作るのよ」
と再びハンバーグが言った旅遊保。女の子はハンバーグも好きだった。
「このお弁当を食べる女の子はご飯が大好きなんだって」
ブロッコリーが残す原因を皆に話した。
「へえー、そうなんだ。それが原因なんだ」
卵焼きが言った。
女の子は卵焼きが大好きだった。弁当箱には、毎日、欠かさず入っていた。
「あんなにスタイルが良いのに、年頃なんだね」
片隅にいた胡麻風味のホウレン草が最後に言った。
「やっぱりそうなんだ康泰領隊。あの年代の子はね。それに見た目も大切なんだ。もしそうなら残さないように食べるまで崩れないようにお昼までガンバローよ」
おかずを代表して卵焼きが皆の前で宣言した。

そのせいかその日の女の子はお弁当を残さずに食べた。
夕方になって戻って来た女の子は、空になったお弁当箱を台所にいるお母さんに渡して言った。
「お母さん、残さず全部食べたわよ康泰自由行
そう言うとそのまま自分の部屋に戻ったのだった。  


Posted by Pir at 12:20Comments(0)life康泰導遊

2014年11月03日

彼の作風には

のんびりしたときには、内田百閒のエッセイを読むことがある。

彼は、夏目漱石の直接の弟子としては、一番若く、
年代的には、芥川龍之介とほぼ同年代で同じ学校で教えてもいたようだ。
百閒のエッセイのほとんどには康泰導遊、何とも言えないトボケた味わいがある。
大いに笑わせる訳でもないが、
次第に引き込まれて行く魅力がある。
今でもかなりの巻数が文庫本として売られていているが、
あえて新刊に手を出さずとも、古本屋に行けば手頃な価格で買い求めることができる。
くつろぎながら、横になって読むような本。
ちょっとした癒しになるようなところがある。

彼の作風には、三つの要素が隠されていると言った人物がいる。
一つの要素は、諧謔(かいぎゃく)趣味。すなわちユーモア。
その典型は『阿房列車』康泰領隊
お伴を連れ、鉄道に乗って大阪まで行く話だが、
何のために行くのか、その意味がはっきりしないままトボケた旅をする。
二つ目の要素は、観察眼。
『ノラや』などにあらわれる自分自身の行動の描写は妙に鋭かったりする。
そして、三つ目の要素は、幻想世界。
幻想なのか実際の話なのか、その境界線がはっきりしない。
いわゆる虚実皮膜のようなところがある。
これらの三つの要素が、絡み合って独特の味わいを出している。

そして、意味のないものを愛する姿勢がそれに色を添えている。
今の世の中、大学教育に対しては、実社会に結びついた、
より実践的でより効率的な教育を求めている康泰領隊
それに基づいて「大学ランキング」などというものも発表されている。
東京大学が世界ランキングで何位という捉え方をする。

ところが、彼の言葉に、
「役に立たない事を教えるのが大学教育の真諦じゃないか。
社会に出て役に立たぬ事を学校で講議するところに教育の意味がある康泰導遊

「いいね!」  


Posted by Pir at 11:57Comments(0)life康泰導遊