2014年10月28日

僕は外に出歩

2014/10/26、姪が面会にきてくれた。100均で「ミッキーマウスのストラップ」を買ってきてくれたので感激したのはいうまでもない。ストラップをUSBメモリにつけてもらってcellmax 團購、「ありがとう」といった。もちろん僕が姪に頼んで買ってきてもらったのだから感謝するのは当たり前である。

僕は外に出歩けないので、いつもネットで買い物をするけどストラップなら100均で間に合う。いちいちAmazon.co.jpで品定めするよりも姪に買ってきてもらう方が確かであるcellmax 團購

僕が入院している病院にくるにしても電車代が往復で700円もかかるのだ。結局、姪に500円に負けてもらったけれど、少し申し訳ない気持ちである。まあ、情けないとはいえ康泰導遊、あくまでも僕と姪で決めた話なので気にはしないでおく。

最近、姪が優しくなったので気軽にメールや会話ができるので康泰導遊、昔のことを思えば雲泥の差。2週間に1回程度、面会にきてくれるので、姪の面会が楽しみで仕方がないのである。  


Posted by Pir at 18:26Comments(0)life

2014年10月23日

このところ

今日は体のメンテに京都にあん摩。

このところ、161号線から山中越えをして京都に入っていたのですが、今日は久しぶりに朽木周りで行きました。

朽木から大津へ向かう山々は錦繍序章という感じで美しかったです康泰自由行

朽木大野の桜が美しい場所では桜の紅葉が見られました。
夕暮れ時だったので、色濃く感じました。

桜の紅葉で、美しいものを見たことがありません。
明るい日の下で見たらどうかはわかりませんが、雨けむる薄暮の桜の紅葉に、思わず「わっ」とコトバがもれました。
運転中ですので、ほんの数秒見ただけなんですけどね。

京都ではいつも行く「華麗屋」さんで今日はカツカレーを食べました。

いつもはチキンカレー500円を選ぶのですが兒童書桌、昨夜見たTV火曜サプライズでカツカレーを食べている場面があり、ものすごく食べたい!と思ったのです。

サクサクで美味しかったです。今日は700円。

華麗屋さんのHPはありませんが、食べログで口コミが読めます。

開店当初から値段を変えておられないそうで、お腹をすかせた学生さんにガッツリ食べさせてあげたいという頑固親父?の一徹なんだそうですが、このせちがらい世の中でジャンボチキンカツの定食が500円です中一派位。サラダと味噌汁と小鉢がついていたと思います。

私は食べきれませんのでタッパ持参で残りを持ち帰ることもありました。最近はカレーが多いです。
他にも定食がありますが、いずれも量が半端じゃないです。消費税が上がっても、お値段据え置き。
お金がない若い方にがっつりという心意気に、なぜか感謝したくなります。

場所は京都市北区紫野宮東町 堀川紫明を東に入った南側で、スーパーの2階にあります。
お腹をすかせた学生さん康泰導遊、近所なら行ってみてください(^^)

私はほぼ月一でかれこれ10年くらい通っています。

ではまた明日
読んでいただいてありがとうございました。  


Posted by Pir at 11:25Comments(0)life

2014年10月14日

そのユリの名前は

母の一周忌の法要をする。
ネットで手配した白ユリの花が、すでに霊前に供えられていた。
ユリの香りが懐かしい。
父が行商をしていたころ、どこからか白いユリを持ち帰ってくることがあった。花を飾ることなど滅多にないわが家であったので、白いユリの大きな花は、不自然に豪華であった康泰導遊。特有の強い香りが家じゅうに充満し、よその家になったみたいで落ち着かなかったものだ。

そのユリの名前は、土地では箱根ユリと呼ばれているものだった。江戸時代の参勤交代の折に、箱根から持ち帰ったものが、土地の野山に自生するようになったらしい。
田舎の道を自転車を押しながら、父はどんな思いで白いユリに手を伸ばしたのだろうか。
いまは父も母も写真の人になって、何も語らない。

妹たちが用意してくれた昼食を済ますと如新集團、大阪から同行したぼくの一族はドライブに出かけた。大人3人と大学生が2人、それに中学生がひとりの6人。
道端や野のあちこちにコスモスが満開だ。その花に導かれるように、高原の花公園に立ち寄る。広い敷地は、どこを見ても花ばかりだ。花の名前はわからないが、それぞれの花が色鮮やかな絨毯のように野を染めていた。

かつては何もない草原だったところだ。
高校生だったぼくらは自転車でやってきた如新香港。ひたすら登りばかりの坂道で、自転車はこぐよりも押すほうが多かった。
大きな岩に3人の名前をそれぞれ石で刻んだ。その場所も、いまでは花に埋まってわからない。夢ばかりを追っていた、遠い日の夢のようだ。
東京で学生生活をおくるソラカラちゃんが、花のなかを泳ぎながら一人ではしゃいでいる。その歓声が、花の色とみんなの心をいっそう明るくした。

コスモスの花が揺れている。かすかな風がそよいでいる。
この地で、父も母も風になった。そんな父と母の、風のように軽い骨の一部を、大阪の寺に納めるためにはこぶ。
できることなら、この花野に風のように放てないものかnuskin 香港。そんな思いが、ふと脳裏をかすめる。そして吹き過ぎる風のように、ひととき花々に溺れてすっかり忘れる。
それもまた、花野の夢のようだった。  


Posted by Pir at 12:21Comments(0)nu skin 如新life

2014年10月08日

この大和魂という言葉は

「大和魂」という言葉の文書上の初出は『源氏物語』だという。
その当時の大国であった中国の文化や学問などを総称して「漢才」と呼び、
その対となる言葉として「大和魂」をあてていたようだ。

この大和魂という言葉は、『源氏物語』以降、何度か流行を繰り返した歴史を持っている。
江戸時代の国学者である本居宣長も康泰領隊、そういった言葉の信奉者。
明治に入ってからは、さらにその言葉が聞かれることになる。
『吾輩は猫である』の中にも、
「大和魂」という言葉が流行語のようになったことを、
皮肉を込めて、
夏目漱石は、「三角なものが大和魂なのか、四角なものが大和魂か。
大和魂は、名前の示す如く魂である。魂であるから常にフラフラしている。」
と表現している。
この本が書かれた当時、日露戦争が日本の勝ちで終わった時期で、
街中が「大和魂」で浮かれているような時代だったことも読み取れる。

それ以降、終戦に至るまで康泰領隊
この「大和魂」という言葉がいろいろなところで使われていた。
ダイエーの創業者中内功氏は、砲兵隊として過ごしていたときに、
「我々には大砲などがありません」「そんな砲の不足は大和魂で補え!」
と上官から言われたという。
何かにつけ精神主義的なニュアンスを込めて使われていたようだ。

そんな風に使われたことの反動があり、戦後は、ほとんど聞かれなくなった。
終戦後、ただ一度だけ流行したことがある新加坡旅行
それは、1967年にプロボクシングで世界王者となったハンマーパンチの異名を取る
日系人3世の藤 猛(ふじ たけし)が勝利したとき。
彼は、片言の日本語で、「オカヤマのバアちゃん見てる?」という言葉とともに、
「ヤマトダマシイ」という言葉を語った。
それが、大いに日本人視聴者を喜ばせたりしたcellmax 團購
その後、勝ち抜いたときにインタビューには必ず「ヤマトダマシイ」という言葉を使っていた。

ただ、この藤猛、ノリ良く、常に「オカヤマのバアちゃん見てる?」と言っていたが、
そのバアちゃん、
実際は、「ハワイで、藤猛と一緒に暮らしていた」?!
  


Posted by Pir at 11:56Comments(0)life康泰導遊

2014年10月03日

そうとも言えない

”時代考証” というものがある。
映画やテレビの時代劇では、その時代に即した言葉遣いや名称、生活習慣などが、
史実に照らし合わせて適正かどうかを検証するもの。

歴史ドラマには、必ず行なわなければならないというわけではなく、
史実を完全に無視した時代劇もあるが康泰領隊
大河ドラマなど、本格的な歴史物は
最低限その時代に即しているか否かの検証はして欲しいところだ。

いわゆる『歴史書』と呼ばれるものも、
客観的歴史的事実に基づいて書かれているかと言えば、
そうとも言えない。
かの中国の歴史書『春秋』は、孔子が筆をふるったと言われるが、
さぞや完全な史実に基づいているものという感じがするが、
そこには、孔子が考える正邪の考え方が底に流れていて、
その価値判断を組み込みながら書かれている康泰旅行團
この歴史的事実に対して意図的に書かれていることを
『春秋の筆法』という。


日本の新聞や報道機関は、以前から事実を客観的、
第三者的に報道するというより康泰旅行團
一つのフィルターをくぐった上で報道されていると言われてきていた。
いわば、意図が組み込まれているという。

今回、朝日新聞の報道姿勢が問題となったが、
つまるところ、『春秋の筆法』康泰領隊

『朝日の筆法』といったところだろうか。  


Posted by Pir at 11:51Comments(0)life康泰導遊