2014年08月07日

東北の旅は

東北の旅は、とっくに終わっている。
だが、このブログでの旅はやっと終わろうとしている。だいぶ旅の余韻を引っぱってしまった。その間に梅雨も上がり、はや猛暑の夏がはじまって、いまは蝉しぐれの雨に襲われている康泰導遊
旅は楽しいものでもあるが心細いものでもあった。だがら旅は道連れと、小さな道連れを二人つれ帰ってきた。
顔も体も不細工だが、なかなか根性がある。転んでも倒れてもしゃんと起き上がる。会津の起きあがり小法師だった。小憎らしいといえば小憎らしい。羨ましいといえば羨ましい。転んだらなかなか起き上がれないぼくは、毎日こいつを転がしては起き上がり方を学んでいる。と、それは嘘。ただ旅の余韻を楽しんでいるだけだ康泰導遊

今回の旅は、水と光の旅だったかもしれない。
雨の中の中尊寺光堂。水浸しの暗い森の奥で、それはひときわ眩く光り輝いていた。閉じ込められた黄金の日々を想う。大きな光の塊りは、大いなる夢の跡でもあった康泰導遊
水辺に立つ豊満な女体の裸像と、水をたっぷりと溜め込んだ十和田湖の膨らみが、記憶のなかで豊かにダブっている。溢れ出した水は奥入瀬渓流の澄んだ流れとなって、岩に砕け散った水は光の粒となって輝いていた。
いつか火山の噴火で沼となった水は、四季の光を映して妖しく色を変える。そんな水の変容をすこしだけ覗きみることができた。
旅する川の終着点は海だった。海は島々によって作られたのか、島々は海によって作られたのか。そんな想像も飲み込んでしまうほど、水の旅は果てもなくただ広がっていった。

いまは、とにかく暑い。もはや水一滴の歌詩達郵輪、涼しさの言葉も湧き出してはこない。
35℃の灼熱に閉じ込められて、ただ寝転がって小法師を眺めているうち、白昼の夢路に迷い込んでいく。
水が恋しい、海が恋しい。  


Posted by Pir at 17:11Comments(0)life康泰導遊